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投稿日: 2022年8月12日

【パチサミ公式コラム】パチスロメーカー組合『日電協』の歴史と役割

ひとくちにパチンコパチスロ遊技業界といっても、そこには沢山の企業が関わり多種多様な業務をおこなっています。例えばホールを運営する企業や遊技機の販売を行う企業はもちろん、遊技球の自動補給装置の製造を行う企業やプリペイドカード・コインシステム関連企業、あるいはメーカーからホールまで遊技機の運送を行う会社も、業界には欠かすことができません。

同じ業界内で、特に共通の目的を持った企業同士が自発的に集まり、相互扶助のため作る組織のことを「協同組合」と呼びます。

遊技業界内にも様々な組織がありますが、「日電協」もそのひとつ。主に「パチスロの製造会社(メーカー)」で構成されています。正式名称は「日本電動式遊技機工業協同組合」で、中小企業等協同組合法にもとづいた協同組合になります。創立は1980年で、パチスロの誕生から現在まで歩みを同じくして寄り添ってきた約40年の歴史を持つ組織です。

日電協とは?

活動目的

日電協は当初、9社のパチスロメーカーが集い、健全化の旗印を掲げ新しい大衆娯楽の創造を目指して創立されました。現在、定款(組合の根本原則)にはこうあります。

「本組合は、組合員の相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な共同事業を行い、もって組合員の自主的な経済活動を促進し、かつ、その経済的地位の向上を図ることを目的とする」

もちろん大前提としては「魅力的な遊技機を提供する」ことですが、日電協は組合員がそれを提供し続けていくための、またはホール企業がそれを安心・安全に導入、あるいは回収・廃棄するための「仕組みや環境」を作っていく役割を担っています。それに加え、現在では遊技業界を取り巻く環境の変化に対応した社会貢献活動やリサイクル活動など、遊技業界が社会的責務を果たしていくための活動も積極的におこなっています。

余談ではありますが、日電協に加盟しなければパチスロを製造販売出来ない、というわけではありません。ですが、安心安全なパチスロ遊技環境には欠かせない協同組合である、と言えます。

上記以外にも『遊技機開発に関する自主規制(内規)』を検討し、決定・施行することも日電協の大事な役割になります。

組合員と賛助会員

▲組合員の21メーカーが参加
▲賛助会員の20メーカー

日電協はパチスロメーカーの組合なので、運営メンバーは基本的にメーカーの社員です。2022年8月現在、参加企業は「組合員」21社と「賛助会員」20社の合計41社。組合員と賛助会員の違いは、総会における議決権の有無や各種ワーキンググループの参加資格の有無などがありますが、組合内で行われている情報共有等に関してはどちらも変わらず受ける事ができます。

【日電協加入条件】
①技術上の規格に適合する回胴式遊技機の製造を行う事業者であること。
・型式試験の適合を受けていること。
・型式通りの遊技機を製造できる能力を備えていること
(意見書(※1)及び確認証明書(※2)の取得)
②規定の地域に事業所を有すること。
③暴力団及び関係者でないこと。
④諸経費(加入金等)の支払

※1.意見書→保通協又は全防連が発行。
※2.確認証明書→公安委員会が交付。


このように、日電協加入には条件があります。「意見書」というのは製造を行う工場が、規格に則ったものであるかどうかなどを確認するもので、保安通信協会(保通協)又は全国防犯協会連合会(全防連)がそのチェックをおこないます。完成した機械を保管する倉庫等に対しても審査が行われ、その結果が意見書に反映されています。その意見書と必要書類を公安委員会に提出すると「確認証明書」が交付されます。

また、加入に先だって適合機を取得している必要があるので、つまり最低限、型式試験で適合を受けた機種を持っており、その型式通りに製造できるメーカーでないと入会が認められない、という仕組みになっています。

組織図と役割

▲日電協の組織図

日電協で取り扱う業務はゴト対策から共同宣伝まで非常に幅が広く専門性も高いので、それぞれ役割ごとに「委員会」に紐づく形で「WG(ワーキンググループ)」が設置されています。WGが受け持つ役割はそれぞれ以下の通り。

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代表的な例として、例えばメーカーが開発した機械を試験機関である保通協(一般財団法人 保安通信協会)に持ち込んだ際、それが何らかの理由によって不適合となってしまった場合に、その情報を「技術委員会(WG)」が組合・賛助会員向けに共有するという活動や、不適合の理由に関する質問を投げることが出来るなどが挙げられます。これにより、メーカーは不適合となった他社の前例を参照しつつ、新台を開発する事ができるため、開発リソースの無駄を省く事ができます。

また先にも少し触れましたが、技術委員会の大事な役割として「遊技機開発に関する自主規制(内規)」の検討・決定が挙げられます。例えば、最近の例で言いますと差枚2,400枚方式になった6.5号機は、内規の変更によるものです。

また意外と知られていませんが、ホールは不要になった遊技機が出たときに「リサイクル協会」の処理事業者に廃棄台を出すことで、それを無料で手放すことができる仕組みがあります。これは使用済みの遊技機を適切に処理するため、つまり不法投棄(野積み)・不正改造を防ぐための取り組みで、処理費用はすべてメーカーが負担することになっています。これらを担当するのが健全化・セキュリティ委員会の「リサイクルWG」です。

▲遊技機の処理までが日電協の役割

【知ってる? 野積み問題・不正改造】
過去、使用済み遊技機の不法投棄が社会問題化した事があります。これは現在では「野積み」と呼ばれています。またこれに付随して、正常に処理されなかった使用済み遊技機が、不正改造されて違法店に流れるという問題も発生。これらの問題に対応するため、日電協を始めとした業界団体の働きかけにより「遊技機リサイクル協会」が誕生し、使用済み遊技機の適正処理に尽力しています。


作って売る、だけではなく廃棄やリサイクルなど、遊技機の最終処理までが日電協の役割になります。

パチスロサミット活動

詳しくは後述させていただきますが、この記事が掲載されている「パチスロサミットONLINE」を運営するのは日電協と回胴式遊技機商業協同組合(回胴遊商)ですが、日電協は「明日の日電協を考える委員会WG」がそれを担当しています。

現在は新型コロナウイルスのまん延防止のため文字通りこのサイトを含め「ONLINE」での広報活動を行っていますが、以前は販売促進・稼働促進のためにユーザーの皆さまを集めたリアル会場でのイベントを行っていました。サイト名である「パチスロサミットONLINE」の由来はそこから来ています。


このように日電協の役割は開発から使用済み遊技機の処理、また広報に至るまで多岐に渡っています。WGで扱う専門性の高い活動以外にも、例えば組合員の取り扱う遊技機の部品・付属品の共同購入及び斡旋等の現実的なメリットがありますが、上記のようなリサイクル活動や社会貢献活動等、一社で対応するのが難しい社会的に意義がある活動を、その環境を整える事により、組合全体で取り組んでいます。

日電協の歴史

▲パチスロの原点である『ジェミニ』

大阪万博が開催された1970年。日本にアメリカのバリー(Bally)社製のスロットマシンが輸入され人気を集めるようになりました。そんな中、自身が販売したマシンが一部ゲームセンターなどにおいて違法に運用されている事に危機感を抱き「風営法で許可されたスロットマシンを開発しよう」と決意したひとりの男性がいました。大阪でバリーの製品を輸入販売していた角野博光氏(故人)です。角野氏がこのとき自ら考案した『ジェミニ』はプレイヤー自身がボタンを押して図柄を揃えるという技術介入性、3メダルの投入、5ライン入賞、15枚の払い出し、そしてボーナスゲームという全く新しいゲーム性など、従来のスロットマシンとは一線を画した革命的なマシンでした。

『ジェミニ』設置店舗は大阪八尾市を皮切りに広がりを見せますが、地域によってはパチンコホールに併設出来なかったため専門店での営業が主流であったこと、また機械代が非常に高価でさらに大型であったことなど多くの問題点を抱えていました。このような中で、製造業者のなかで「パチンコホールに設置できるスロットマシン」を作ろうという機運が高まっていきます。

▲国内初のパチンコ型スロットマシン「パチスロ」となったパチスロパルサー

そして1980年、ついにメーカーの開発努力の下、小型化及び低価格化に成功したパチスロの第一号である『パチスロパルサー(尚球社)』が登場します。さらにリレー回路を無接点化し、回路部にパルスモーターを使用した現存機原型である『アメリカーナ』も登場。パチンコ島への併設が可能となりました。

その年11月25日、志を同じくする9社の製造業者が集まり、遵法精神に則って遊技機を開発する事、また社会的な認知を得ていく事を旨とし「日電協」が発足しました。以来、協同組合の歴史は42年目です。現在の理事長は第9代目の兼次民喜氏。発足時9社だった組合員数は賛助会員をあわせて41社となりました。

日電協とパチスロの歩み(~2000年)

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▲ジェミニ以前のオリンピアスター(左)、オリンピアマークⅢ(右)

1980年にパチスロパルサーが開発され、日電協が発足。その5年後の1985年に風適法が施行されます。この風適法にパチスロが「回胴式遊技機」として法律に明記されました。また、それまで都道府県公安委員会にあった機械の許可基準が、保安電子通信技術協会(保通協)の検査の下で一本化される決まりとなりました。

風適法施行以前のパチスロを0号機と呼び、以後、1号機2号機……と続いていきます。2号機時代などでは、各メーカーが1年間で販売できる機種数が2~3機種と制限されていたにも関わらず、パチスロ設置台数は伸び続けました。

一方で不正機も横行、それに対するために健全化への動きが急速に進みます。日電協は1986年に全国およそ100箇所で2万人を動員した「基板の封印点検作業」を実施しています。ですが、不正改造問題は続き、メーカー2社が製造者登録取り消し処分を受けるなど大きな問題となっていました。これを受けて1992年には基板回収・点検作業を実施。総費用は70億円にものぼりましたが、日電協は健全化の推進に注力しています。

1993年にはヒット機種乱立の4号機時代がはじまります。『ニューパルサー(山佐)』が約22万台設置という大記録を樹立。その後も技術介入性やCT機、大量獲得機、AT機、ストック機、30Φなど多種多様な機種が登場し、1998年には全国設置台数が100万台を突破。

日電協創立から20年間で、パチスロは法律にも記載される遊技となり、パチンコホールになくてはならない存在となっていきました。

日電協とパチスロの歩み(~2022年)

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2001年にはパチスロ設置台数が140万台を超えますが、射幸性の高さが問題視されるようになります。これを受けて「著しく射幸性が高い機種」および「適度な射幸性を超える恐れがある機種」のリストを公表。著しく射幸性が高い機種に関しては、撤去・回収する流れとなりました。また、著しく射幸性をそそるパチスロ遊技機として、3機種の検定が取り消される事態に。

▲2005年に実施された遊べるパチンコパチスロフォーラム


2004年7月の遊技機規則改正によって、パチスロは射幸性を大きく抑制した5号機時代を迎えます。遊べるパチンコパチスロフォーラムや手軽に安く遊べるパチンコパチスロ展示会などが開催され、遊びやすい大衆娯楽化を目指した動きが活発になります。

2007年9月30日に4号機が撤去となり、完全に5号機時代に移行。人気を博した4号機撤去により、パチスロは冬の時代を迎え、200万台を超えていた設置台数も2009年には163万台までに減少。この状況を打破すべく、日電協と回胴遊商(回胴式遊技機商業協同組合)は、業界初のファンとの直接対話集会「なんとかしようよ!! パチスロ文化」を実施。ここからファン向けイベントは形を変えながら定例化していきます。

▲人気を博した5号機パチスロ新鬼武者、パチスロ蒼天の拳


『新鬼武者』や『パチスロ蒼天の拳』などの人気機種の登場で、5号機市場も回復傾向になりますが、2011年東日本大震災が発生。日電協は義援金寄付だけではなく、シャワーコンテナ提供や仮設住宅カラオケ大会などの支援活動も実施します。TVCMの自主規制や輪番店休などの影響を受けますが、パチスロ設置台数の増加傾向は続きます。

闇スロ撲滅運動や依存問題対策も活発に実施していきます。依存問題対策として、純増枚数を抑えた5.5号機基準を発表。あわせて2万枚を突破するような高射幸性機をリスト化し、全日遊連(全日本遊技事業協同組合連合会)と協力して撤去を推進。

2016年にはカジノに関連したIR推進法が成立します。政府はその後「ギャンブル等依存症対策推進関係閣僚会議」を設け、公営競技・パチンコパチスロは依存問題対策にさらに注力するようになります。これにより、警察庁は出玉をそれまでの2/3にするなどの遊技機規則及び型式の検定等の改正案を公表し、2018年に施行されました。

これがいわゆる6号機基準となります。それと同時にメダルを使わない「メダルレスプロジェクト」も立ち上がり、2022年11月にスマートパチスロ(スマスロ)として登場予定という流れになります。現行機である6号機も、6.0号機から始まり、様々な変遷を経て、2022年8月現在は6.5号機に至っています。

参照:パチスロ6号機時代解説。6.0号機からの歴史変遷を総まとめ。
参照:遂に情報公開! スマートパチスロ(スマスロ)って何?


日電協は紆余曲折を経ながら、パチスロという遊技を安心・安全に楽しめる文化として成立・維持・発展するために40年以上活動しています。日電協の歴史は、まさにパチスロの歴史と一体となっていることがわかると思います。2022年11月からはスマスロが登場し、パチスロは新たな歴史を歩みますが、日電協の役割は変わらずパチスロ業界・文化の発展に寄与することを根本にしています。


パチスロファン向けの活動

「パチスロサミットONLINE(日電協の明日の日電協を考えるWGと回胴遊商が運営)」は、上の年表の2010年の部分にある「なんとかしようよ!! パチスロ文化」をひな形としています。

このイベントは4号機の完全撤去後、長引く低迷を打開するために行われたファンとの直接対話集会です。その後、このイベントは形を変え、翌2011年には「8月4日はパチスロの日 パチスロ元気祭り」と銘打って毎年恒例のものとなっていきました。ユーザーのみなさまを集めてステージイベントや試打会を通して販売促進・稼働促進をおこない、パチスロの事をもっと知ってもらおう、もっと好きになってもらおう! という企画なのですが、現在は新型コロナウイルス感染症のまん延防止のため休止中です。

このコラムの締めくくりとして、「パチスロサミット」の歴史を振り返ってみたいと思います。

「なんとかしようよ!!パチスロ文化」

▲2010年、業界初の直接対話集会

2010年に開催された「パチスロミーティング緊急討論会」がこちら「なんとかしようよ!!パチスロ文化」でした。人気ライターなどパネラー陣とファンの直接討論は白熱したものになりました。このイベントは以降形を変え、「パチスロサミット」へとつながっていきます。ちなみに開催場所は千代田区秋葉原で、初回からの恒例となっています。

「8月4日はパチスロの日 パチスロ元気祭」

▲2012年。闘魂を注入する猪木氏

「なんとかしようよ!!パチスロ文化」から1年空けた東日本大震災翌年、日本に少しでも元気になってもらい、またパチスロも楽しんでもらえるように開催したイベントです。人気ライター陣の他、格闘技界のヒーローであるアントニオ猪木氏にもご来場頂き、おなじみの闘魂注入などを通して大いに盛り上げてくれました。

「8月4日はパチスロの日 パチスロ感謝祭2013」

▲パチスロ感謝祭2013

名称を「パチスロ感謝祭」と改め、開催された3度目のイベント。昨年に引き続き人気ライターによるトークショーや試打会の他「8月4日はパチスロの日」を広げるために結成された二代目パチスロガールと行くグアム旅行などが当たる「ドリームキャンペーン」なども好評を博しました。

「8月4日はパチスロの日 回胴祭(パチスロ祭り)2014」

▲2014年。パチスロライターだけではなく、北斗晶・佐々木健介夫妻も登場

4度目となるイベントは「回胴祭」です。この日授与されたPS(パーフェクトスピリッツ)大賞は「これからの日本の原動力となる、熱き魂を持った人物」に送られる賞。この年の大賞には佐々木健介さん・北斗晶さん夫妻が選ばれました。

「パチスロまつり2015」

▲2015年。来場者1万人を突破

2015年は「8月4日はパチスロの日」という単語が取れ、シンプルに「パチスロまつり」というイベント名になりました。恒例となった試打会、Pキャラグランプリのほか、この年は「SIR」「Chu-Z」「WenDee」などのアイドルライブが開催されました。

「パチスロサミット2016~2019」

▲2016年からパチスロサミットという名称に(画像は2017年)

2016年からは「パチスロサミット」と題し、ステージイベント+試打会の形が確立します。2016年は業界関係者に向けたシンポジウム、2017年は有識者を招いての緊急公開討論会を開催。2018年は6号機出展機不足で惜しくも中止となりましたが、2019年は人気Vtuberによる出展機種紹介や、Pキャラによる椅子取り合戦なども交えながら無事開催。

翌2020年からは新型コロナの影響で再び休止となりましたが、その代わり、日電協・回胴遊商の販売促進および稼働促進活動として立ち上がったのが、本サイト「パチスロサミットONLINE」になります。


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